札幌高等裁判所 平成2年(う)190号 判決 1992年10月29日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役五年に処する。
原審における未決勾留日数中四五〇日を右刑に算入する。
理由
第一 控訴趣意及び答弁
本件控訴の趣意は、札幌高等検察庁検察官検事山岡靖典が提出した札幌地方検察庁小樽支部検察官検事牧野忠作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人郷路征記及び同笹森学が連名で提出した答弁書に各記載のとおりであるから、これらを引用する。
控訴の趣意は、要するに、原判決は、本件殺人の公訴事実に対し、その外形的事実を認定しながら、<1>右犯行の動機が了解し難いこと、<2>被告人の人格とは異質な常軌を逸した犯行であること、<3>被告人には犯行当時の記憶がないこと、<4>甲、乙両鑑定人も被告人が一時的にもうろう状態となつたと認めていることなどを主たる根拠として、被告人が、右犯行当時、事理弁別能力を欠くもうろう状態に陥り、心神喪失の状態にあつたとして、無罪の言渡しをしたが、右のうち、<1>ないし<3>はいずれも事実を誤認したものであり、<4>の甲・乙両鑑定人の鑑定結果は採用し難いものであるから、これらに依拠して原判決が被告人の責任能力を否定したのは判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認であり、到底破棄を免れない、というのである。
第二 当裁判所の判断
そこで、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討すると、まず、原審で取り調べた関係各証拠によれば、本件公訴事実中、責任能力の点を除くその余の事実と同旨の事実、すなわち、被告人が、昭和六三年一二月二四日午後零時三〇分ころ、北海道岩内郡《番地略》の被告人方居室において、妻A子(当時四〇歳)に対し、殺意をもつて、刃体の長さ約一七センチメートルの文化包丁で同女の胸部、腹部及び背部等をそれぞれ突き刺して、その背部、胸部、腹部などに刺創、刺切創を負わせ、よつて、間もなく同所において、同女を外傷性・両側性気胸により死亡させて殺害したとの事実を肯認することができる。そうして、原判決は、所論指摘の<1>ないし<4>などを主たる根拠として、右犯行当時、被告人が事理弁別能力を欠き心神喪失の状態にあつた疑いが強いとして、被告人の責任能力を否定しているところ、所論にかんがみ、前掲の関係各証拠に当審における事実取調べの結果を加えて考察すると、右犯行当時、被告人は、心神耗弱の状態にはあつたが、所論のとおりいまだ心神喪失の状態にはなかつたものと判断することができる。以下にその理由を説明する。
一 原審で取り調べた各証拠によれば、本件犯行に至る経緯、犯行の状況及びその直後の被告人の言動等は、以下のとおりであつたと認めることができる。
1 被告人は、肩書本籍地の中学校を卒業後、土木作業員、漁船員、運転助手、ブロック造りの工員、トンネル工事の坑夫などの職を転々としたが、一八歳のころからほとんど毎日のように酒を飲むようになり、特に静内の発電所のトンネル工事に従事していた三〇歳過ぎころには酒量が増え、一週間も飲み続けるなどのことがあつたため幻聴が現れ、その後も時々幻聴に見舞われた。
2 被告人は、昭和五五年ころ、知人の紹介で二歳年下のA子(昭和二三年三月生)と知り合い、交際し、昭和五六年一月六日同女と婚姻し、長女B子(昭和五六年七月生)、長男C(昭和五八年二月生)の二子をもうけたが、被告人が、生活を顧みず飲酒してしばしば暴力を振るつたことなどが原因で、昭和五八年八月一五日、同女が二子を引き取つて協議離婚した。
3 その後、被告人は、酒浸りの生活を続けたため、以前にも増して幻聴に襲われるようになり、昭和五九年八月、アルコール依存症との診断を受けて北海道社会事業協会岩内病院(以下「岩内病院」という。)精神神経科に同年一一月まで入院し、その後も症状が悪化する都度、札幌の旭山病院(精神科)に数か月ずつ二回入院し、更に、昭和六二年三月には、一日中聞こえて来る幻聴に我慢ができず、包丁で自分の頚部を刺して自殺を図り、岩内病院に収容され一命をとりとめるということがあり、その後引き続き同病院に入院し、アルコール依存症の治療を受けた。また、そのころ、頚椎部分の疾患(歯突起形成不全症・環軸椎不安定症)が現れたため、この治療のため同年六月以降、札幌医科大学付属病院整形外科や札幌円山整形外科病院に転院したが、この間もアルコール依存症の治療を継続し、昭和六三年二月に岩内病院に戻り、同年七月まで同病院に入院した。
4 被告人が、前記のとおり自殺を図つて岩内病院に入院していた際、離婚したA子が見舞いに訪れたことが切つ掛けで、被告人は再び同女とよりを戻すことになり、同女が出した「酒を飲んだら出て行つてもらう」との条件を受け入れて、昭和六三年七月同病院を退院後、同女、B子、Cが居住していた岩内郡《番地略》の同女方で一緒に生活を始め、同年一二月九日、それまで「D」姓を名乗つていた被告人が同女の戸籍に入籍する形で婚姻したが、被告人ら家族の生計は、日本アスパラに女工として勤務するA子のパート収入と生活保護とによつて成り立つていた。
5 被告人は、退院後しばらくの間は約束を守つていたが、同年八月ころから岩内病院への通院の帰途などにA子に隠れて焼酎を飲むようになり、同年九月ころに、友人方で飲酒したことを同女に知られたため、平手で顔を叩かれた上強く叱責され、被告人が全面的に詫びを入れるということがあつたが、隠れての飲酒はその後も続き、次第にその回数が増えていつた。被告人は、生活上のことでも同女から叱られることがあつたが、全面的に生活の面倒をみてもらつている同女に負い目があり、また、飲酒を続けていては追い出されるという不安などのほか、前記頚椎部分の疾患のため体に力が入らないこともあつて、同女の叱責には反論することなく、時には被害念慮も生じた(被告人は、同年一二月初旬ころ、実姉のE子と会つた際、『あいつ(A子)が殺そうとしている。子供達と話しをしている』などともらしていた。)が、同女の叱責に対してはひたすら謝るだけであつた。
6 被告人は、本件犯行の三日前(同年一二月二一日)ころ、岩内病院からの帰宅途中、午前中というのに知人のF方に立ち寄つて焼酎約四合を飲み、二時間ほど同人方で眠り、その後帰宅してからも寝込んでしまつたため、自分の役割である夕方保育所へ長男のCを迎えに行く時間に遅れ、そのことでA子に叱責されたが、翌日、同女から、今後Cの保育所への送迎は同女がする旨申し渡され、その日は同女がCを保育所へ連れて行つた。このため、一人残つた被告人は、同女がもはや自分を必要としなくなつたものと思い、同女方を出る決意をし、荷物をまとめていつたんは家を出たが(なお、その際、友人のG方を訪ね、「昼になつたら女房が帰つてくるから、別れ話をしに行く」「このごろ、ノイローゼぎみで具合が悪い」などと話している。)、その後同女に諭されるなどしたため、従前どおり同居を続けることにした。
7 被告人は、酒を断つことができないため再び幻聴が現れるのを心配し、同月二三日、岩内病院の精神神経科で受診した際、主治医のH医師に対し、もう一度旭山病院に入院したい旨を話して紹介状を書いてもらつたが、妻のA子にはこれを伏せていた。ところが、同夜、就寝していた同女が、布団から出てトイレの方へ行き、外にいる誰かに向かつて「一二月三〇日に行くんだつてさ」と話すのを聞いたように思い、これが気に掛かつてあれこれ考え、被告人が旭山病院に入院しようとしていることを同女が知つていて、その入院の日を一二月三〇日だと話したのかなどと思いを巡らした。
8 被告人は、同月二四日(犯行当日)午前八時四〇分ころ自宅を出て、いつものようにCを保育所に送つた後、岩内病院に行つて薬だけ受け取り、歩いて帰る途中で阿部商店に立ち寄り、煙草とワンカップの焼酎(アルコール度数二五度で二〇〇シーシー入り)二本を買い、焼酎はその場で一気に飲み、午前一〇時ころ帰宅したが、A子と顔を合わせたことから、自ら「飲んできた」と告げた。A子は、Cの通う保育所でのクリスマス会に出席するため身支度していたが、被告人の右話を聞くと「布団を敷いてやるから寝ていなさい」と言い、六畳間に布団を敷いてから、保育所に出掛けて行つた。被告人は、寝ないで居間のソファに座つていたが、そのうち、前日に岩内病院の廊下で近くにいた男二人が「あいつはアル中でないんだ」などと話していたことが気になり、同病院の前記H医師に電話を掛け、右の発言が被告人のことを言つたのかどうか確かめたりした。
9 A子は、同日午後零時過ぎころ、Cとともに保育所から帰つてきたが、その際、被告人が玄関の内鍵を掛けていたことに腹を立て、被告人ともめた後、被告人の実姉であるI子に電話をし、「うちの人、何か変なんだわ」「月曜日(翌々日)に病院へ連れて行くわ」などと話し、その後間もなくB子も学校から帰つてきた。被告人は、A子が前夜トイレの方で誰かと話をしていたことを同女に確認しようとしたところ、同女は「あんたなんかと話もしたくない」と言つて、子供部屋のベッドで毛布をかぶつて横になり、いくら話し掛けても無視するので、被告人も腹を立て「起きねばぶつ殺すぞ」と怒鳴つたが、同女は起きてこなかつた。被告人は話すのをあきらめ外へ出ようと玄関の方へ向かつたところ、A子が、突然起き上がつて居間に行き、どこかへ電話を掛けようとしたので、誰かに電話で告げ口されると思つた被告人が、A子から受話器を取り上げ、更に、電話器のコードを手で引つ張り壁のローゼットからコードを引き抜いてしまつた。これに怒つた同女は、「あんたなんか狂つてる」などと叫びながら、興奮して被告人につかみ掛かり、ここにおいて被告人と同女の間で取つ組み合いの喧嘩が始まつた。
10 被告人は、頚椎部分の疾患のため手足に痺れがあつて力が出せないため、たちまち劣勢となり、逃げ回る形になつたところ、A子が、付近でこれを見ていたB子に指示して掛け布団やビニール紐を持つて来させ、B子らも加勢して、子供部屋の隅に倒れた被告人を右の紐で縛ろうとし、更に被告人の頭から掛け布団をかぶせ、被告人を押さえ付けに掛かつた。このような仕打ちにあつて、被告人は、A子に対する怒りが一気に爆発し、同女らをはねのけて台所に逃げた際、流し台上の水切り用茶碗かごに入つていた文化包丁を認めると、激情にかられるままとつさに同女に対する殺意を抱き、追い掛けて来て被告人の身体をつかんでいるA子に対し、右包丁を右手に持つて、その胸部、腹部及び背部等をそれぞれ突き刺して、背部、胸部、腹部など合計八か所に刺創、刺切創を負わせ、よつて、間もなく同所において、同女を外傷性・両側性気胸により死亡させて殺害するに至つた。
11 被告人がA子(母親)を包丁で何回も突き刺すのを見たB子らは、驚いて近所に住むA子の友人J子方に走つて急を告げに行き、一方、被告人も、その直後大変なことをしたとの気持ちから、救急車を呼ぶため隣家の呼び鈴を押したり、建物の外へ出て大声を上げたりしたが、誰も出て来てくれなかつた。J子は、B子の知らせに驚き、直ちに被告人方に駆け付けたところ、居間にA子が血まみれで倒れており、その側に立つていた被告人から「救急車を頼む」と言われ、電話器の方へ行くと、被告人に「その電話は使えない」と言われたので、そこを出て近所の家に飛び込み一一九番通報を依頼した。同日午後零時四二分ころ、救急隊員伊藤伸二らが現場に到着し、A子の容体を調べ始めると、傍らにいた被告人から「脈あるか」「大丈夫か」などと聞かれ、伊藤隊員が「あんたやつたのかい」と質問すると、被告人は「俺がやつたんだ」と答えた。
なお、被告人は、通報に基づき臨場した札幌方面岩内警察署の警察官により、同日午後零時五二分ころ同所において、右殺人の現行犯人として逮捕された。
以上の事実を認めることができる。被告人の原審公判廷における供述などのうち以上の認定に抵触する部分は採用することができない。
二 そうして、以上認定の事実に更に被告人の捜査官に対する各供述調書(当審で取り調べた弁解録取書を含む。)並びに当審鑑定人丙作成の鑑定書及び同人の当審公判廷における証人としての供述(以下、これらを「丙鑑定」という。)等を加えて考察すると、被告人が、犯行前、A子に電話を掛けさせまいとしたことを切つ掛けに、二人の間に夫婦喧嘩が始まり、その後被告人が文化包丁を手にしてA子を刺すに至るまでの一連の被告人の行動は、行為としての連続性があり、また、犯行時、激情にかられていたとはいえ、見当識も失われていた形跡はなく(争つている相手を刺しており、この意味では合目的的である。)、犯行状況に関する記憶も、部分的な欠損はあるが完全な欠損はないこと、その他、犯行に人格異質性がなく、動機にも了解可能性があること等が認められ、したがつて、これらによれば、本件犯行当時、被告人が、原判決が説示するような「一時的に正常な意識状態を喪失し、もうろう状態に陥つていた可能性」は否定するのが相当である。原審鑑定人甲作成の鑑定書及び同人の原審第六回公判調書中の鑑定証人としての供述部分(以下、これらを「甲鑑定」という。)並びに原審鑑定人乙作成の鑑定書及び同人の原審公判廷における鑑定証人としての供述(以下、これらを「乙鑑定」という。)等のうち、以上の判断と抵触する部分はいずれも採用することができない。以下に更に補足して説明する。
1 犯行状況に関する被告人の記憶について
被告人の捜査官に対する各供述調書中には、動機及び殺意の点を含め、被告人がA子の身体を包丁で刺した状況について、前記一の10の認定事実に沿う具体的な供述記載がある(なお、被告人は、昭和六三年一二月三一日、本件犯行現場で行われた犯行状況再現の実況見分においても、右供述記載と同旨の指示説明をしている。)が、被告人は、原審公判廷において、また、原審鑑定人甲及び同乙並びに当審鑑定人丙らが行つた各問診の際のいずれにおいても、「A子らに布団をかぶせられた直後から記憶が全くなく、気が付いたときは同女が床に倒れていた」「捜査官による取調べのとき、記憶がない部分は、多分そうではないかと思い想像で述べた」旨を述べて、犯行時の状況につき全く記憶がない旨を供述する。
しかしながら、被告人の捜査官に対する各供述調書等を検討すると、まず、当審で取り調べた弁解録取書によれば、被告人は、現行犯人として逮捕された後の弁解の機会に、「台所に置いてあつた包丁でA子の腹や背中などを刺し死亡させたことは間違いない。原因は同女に狂つているなどと言われ、ついカーッとなつて刺した」旨を任意供述したのを始め、その後の取調べにおいても、包丁を使つてA子の腹や背中を突き刺したとの基本的な事実自体は認める供述をし、特に、<1>凶器となつた包丁について、被告人は、犯行当日の取調べにおいて、「布団をかぶせられて押さえ付けられたが、何とかその場を逃れ、台所の方に逃げると、妻はなおも自分を追つ掛けて来て胸倉をつかみ押さえ付けようとした。そのとき台所の茶碗かごの中に包丁があるのが見え、とつさに右手に持つた」旨を述べ、その後もこれを維持しているところ、被告人の原審公判廷における供述によれば、右包丁はいつもは流し台の下のドア内側の包丁差しに差してあつたというのであるから、単に想像で述べたのであれば「茶碗かごにあつた」旨の供述内容にはならないと思われる。また、各実況見分調書(甲3、20)等によれば、被告人が包丁を手にした位置は、流し台、茶棚、食卓テーブル、椅子に挟まれた狭い場所であり、追い掛けて来たA子が被告人の身体をつかんでいた状況をも考え併せると、被告人が流し台下部に収納されていた包丁をドアを開けて取り出し、そしてそのドアを閉める余裕があつたとは考え難い(甲4の写真9などによれば、犯行発覚直後、台所の流し台下のドアは閉められた状態となつていた。)こと、当時茶碗かごには洗浄後の食器の一部も入つていたとみられ、これに包丁も入つていたとしても不自然でないこと、被告人の原審公判廷における供述によつても、捜査官が右の点について誘導的な取調べをした事実はなかつたと認められること等にも照らすと、被告人の右「茶碗かごの中に包丁があり、これを手にした」旨の供述は、その任意性・信用性に疑いを差し挟む余地はないものと考えられる。次に、<2>右包丁でA子を突き刺した状況について、犯行を目撃したB子は、被告人が倒れたA子の体を刺したことを供述しているが、被告人は、捜査官に対し、「立つたままの状態で妻(A子)の腹あたりを刺し、更に、自分につかまつていた妻をはがいじめにするような形で妻の背中に手を回して背中の部分を刺した」「包丁で突き刺しているとき、A子は立つて私の体につかまつていたと思う。・・・倒れた後は、その体に包丁を突き刺したことはない」旨、B子の目撃内容を明確に否定しているのであり、推測や想像で記憶の欠落を補つているようなあいまいさがうかがわれない上、背中の刺創に関してはかなり特徴的な加害方法を述べているのである。また、<3>B子は、A子が包丁を持つた被告人に向け、台所の椅子、灰皿、小さなテーブルなどを投げ付けた旨述べているが、被告人は、投げ付けられた記憶がないとした上で、右の椅子、灰皿などの散乱について、「妻ともみ合つたときに移動して倒れたものと思うが、どういう風に倒れて移動したか思い出せない」旨述べているほか、食卓テーブル下の床に落ちていた果物ナイフについては、犯行時にそれを手にしたことはない旨かなり断定的に述べており、自分の記憶のある部分と記憶の想起できない部分とを区別して供述していることがうかがわれる。もつとも、被告人は、刺突行為について、「いきなり妻の腹部あたりを目掛けて刺し、あとは夢中で何回か刺したように思うが、どこをどういう風に刺したのか覚えていない」「記憶しているのは、最初の腹部あたりを刺したのと、背中を刺したことくらいである」と述べる程度であるなど、右記憶が甚だ概括的であり、また、被告人は、A子から椅子、灰皿などを投げ付けられたことの記憶がないなど、犯行状況の一部に記憶の欠損があつたことは否定できないけれども、激しい興奮状態に陥つた場合には、専ら犯行に注意が集中するため意識が狭窄する上、行動が極めて迅速に行われるなど、記銘を困難にする要素があつた(後記のとおり複雑酩酊等価の状態にあつた)のであるから、本件犯行状況に関する被告人の供述が概括的であつたり、記憶の一部に欠損があつても不自然・不合理ではない。もとより、そのことから、直ちに、犯行時、被告人がもうろう状態にあつたとか意識の断絶があつたとかを推論するのも相当でない。更にまた、被告人の原審公判廷における供述に、甲鑑定と乙鑑定とを加えて検討すると、被告人には、本件犯行直後から、犯行時の記憶がないとする被告人を非難し、ある場合には自殺を強要する激しい幻聴があり(その内容は、「分かんないくせに分かつたふりをして」「分かつているくせになぜ言わないんだ」「自分で思い出せ」、更には、「殺す気でやつたべ」「殺してやるから死ね」「全部いえないのか・・・死ねないのか」などというもの。)、この幻聴は、平成元年五月ころ原審鑑定人甲から投薬治療を受けるまで継続したことが認められるところ、乙鑑定では、忘れたいという深層心理が働いて忘れてしまう場合(「心因性の健忘」ないしは「心因性の追想障害」)は、忘れることによつて自らの精神状態の安定を図るのが基本であるが、被告人の場合は、これとは逆に、記憶がないことで幻聴にさいなまれており、また、追想できない場面の範囲に関しても供述内容に変動がないので、被告人に心因性の健忘が生じたことは考えにくいとの見解が示されている。しかしながら、丙鑑定によれば、幻聴のような精神病的な症状は、主体にとつて極めて重要な事柄を意識から排除したときに(想起されるべきことが想起されないため)、幻覚現象を通じて再び出現するのであつて(精神医J・ラカンのいう「排除」という心理機制)、本件の場合、「記憶がない本人を責める幻聴」の出現は、被告人が、本件犯行後断酒してアルコール離脱の状態にあり、かつ、未決拘禁下においてアルコール幻覚症が生じたために、「排除」の機制が働いたものと考えられるというのであり、また、右の幻聴が、激しいとはいえ、これがアルコール幻覚症によるものであることは、前記一の1ないし8の各事実を通じて認められる被告人の長年にわたるアルコール依存症罹患の状況(幻聴の出没状況を含む。)、丙鑑定及び乙鑑定によれば、その後の経過に照らし精神分裂病の疑いが否定されていること等に徴すると、首肯することができるのであり、この意味で、乙鑑定の右見解は採用し難く、本件で被告人に「フロイド的健忘」(乙鑑定における「心因性の健忘」とほぼ同義)が存在する可能性を否定することができない。
そして、以上を考慮に入れて、被告人の捜査段階における本件犯行状況に関する供述内容を検討すると、被告人は、本件犯行直後の捜査段階においては、少なくとも、自分が台所へ逃げたこと、そのとき前記包丁を認めて手にしたこと、A子の腹や背中をその包丁で何回か刺したことなどの諸点について記憶があつたというべきであり、その他の状況的事実などに一部記憶の欠損や細部のあいまいさなどがあるとしても、右犯行状況について記憶を全く欠いていたということではない。したがつて、原判決が、右と異なり、犯行自体についての記憶を全く欠いていた可能性が強い旨判断したのは、是認することができない。
2 犯行当時の被告人の精神状態について
原判決は、本件は、被告人が鋭利な刃物を持つて被害者(A子)の体の枢要部を合計八か所にもわたり突き刺すという著しく常軌を逸したものであること、本件犯行の経緯からみて、被告人が、退院後の生活を支えてくれていた被害者に対し、右のような殺傷行為にまで及ぶに至つたことの動機が必ずしも了解し難いこと、本件犯行は被告人の人格行動とは異質なものであるとみなしうる余地があること等を理由に、甲鑑定及び乙鑑定を採用し、被告人は、本件犯行当時、一時的に正常な意識状態を喪失し、もうろう状態に陥つた可能性が強いと判断している(ただし、もうろう状態発症の原因に関しては、乙鑑定のみを採用している。)。
しかしながら、まず、前記一の8ないし11の各事実に、丙鑑定及び被告人の捜査・公判(原審)での各供述を総合すると、被告人が台所で包丁を手にしたのは、その直前に妻や子供達が一緒になつて自分を攻撃し、頭から布団をかぶせるなどの行動に出たため、屈辱感で激しく興奮し怒りの感情が一気に爆発した結果と認められる(なお、副次的には恐怖感も介在した余地がある。)ところ、このような何らかの体験刺激に対して急性に生起する反応性・一過性の強度の感情によつて駆り立てられた行動は、情動行動(激情犯罪)と呼ばれるものであり、そこにおいては、冷静であれば予想もつかないような残虐な犯行に及ぶ事例が稀ではないのであるから、被告人がA子の身体枢要部を八回も突き刺した行為を甲鑑定にいう原始反応的なものと解したり、特異視するのは相当でなく、また、A子が退院後の被告人の生活を支えてくれていたとしても、本件犯行が基本的に情動行動とみられることからすれば、同女を殺傷する行為の動機は存在したのであり、動機が了解困難ということはない。更にまた、前記一の5ないし9の各事実によれば、被告人が、普段、被害者に飲酒やそれに関連する問題行動を責められて、反論できないような相互の力動関係にあつたことを容易に推測することができ、そうであれば、反撃の際、包丁を持ち出すことになつたことは何ら不思議ではないこと、被告人は本件犯行の数時間前飲酒しているが、一回目の婚姻当時妻子に飲酒の上暴力を振るうことが度々あり、また、乙鑑定によれば、同鑑定人に対し、被告人自らが、「全国を転々としていた時期には刃物を携帯しており、その後の結婚生活で酩酊時に振り回していた。自分には刃物の様な物を持つ傾向があることに気付いていた」旨を述べていることなどを併せ考えると、本件犯行が人格異質的とされる理由はないというべきである。
そして、もうろう状態は、一般的には、「通常始まりと終わりがはつきりしている。高度の意識野の急激なかたよりと狭縮をきたすために、平常の意識の流れは断たれて突然別の内容をもつた意識に変わる、回復時には平常の意識の流れに急速にもどるために、健忘を残す。意識混濁は軽く、外界認知は可能であるが、外界を広く適切に把握することができない。」と理解されているが(弘文堂刊・精神医学事典)、丙鑑定によれば、被告人がA子に電話を掛けさせまいとしたことから、二人の間に夫婦喧嘩が始まり、その後被告人がA子を刺すに至るまでの一連の推移には、行為の連続性があり見当識が失われた形跡はなく、行為の内容もその場の状況からみて合目的的であり、状況的な異質性がないこと、人格の異質性もなく、動機の了解可能性があること、したがつて、被告人に、本件犯行当時、意識の「断絶」ひいてはもうろう状態等があつたとは考え難いとしている。右の鑑定結果は、前記一の8ないし11の各事実及び前項の説示に照らし、推論の過程及び結論とも十分合理性を有するものと考えられる。
以上の諸点を総合考察すると、被告人が、本件犯行当時、一時的にもうろう状態に陥つたことはないと認めるのが相当であり、これと異なる原判決の判断は是認することができない。
補足すると、甲鑑定及び乙鑑定は、いずれも、被告人にもうろう状態が存在したことを肯定するが、両鑑定とも、その前提をなす被告人の捜査段階での供述などの評価において既に当裁判所の前記判断と異なるものがあり、また、その推論過程にも、首肯し難い部分があつて、右の結論部分はいずれも採用することができない。
三 まとめ
以上のとおり、当裁判所は、被告人がA子らに頭から布団をかぶせられた後、前記のとおり包丁を認めこれを手にして同女の身体を突き刺すなどした本件犯行の状況について、被告人の記憶が完全に欠損したとは認めることができず、また、そのころ被告人が右犯行時もうろう状態に陥つたこともないと判断するものであり、したがつて、被告人が、右犯行当時、心神喪失の状態にはなかつたというべきである。しかし、他面、被告人の犯行状況に関する記憶内容は、B子の目撃した状況と食い違つている点もあり、合致する部分も概括的な記憶にとどまり、記憶欠損の部分はおおむね細部の事項ではあるがかなりの範囲にわたつているのであり、加えて、前記一の各事実によれば、被告人は、犯行当日もアルコール依存症のため通院治療中であつた上に、本件犯行の約三時間前には飲酒していて、酩酊の影響もあること、被告人に日常生活上、不安、曲解、邪推あるいは被害念慮などがあつたことが認められ、また、前認定のとおり、本件犯行後、アルコール幻覚症が出現していることなどは、その責任能力を判断する上で十分考慮しなければならない。丙鑑定によれば、「被告人は、正常の知能を有し、精神性格的には反社会性人格障害の示標に合致している。犯行前後も現在もアルコール依存症に罹患しており、人格障害には、長年のアルコール乱用及び頭部外傷の影響による器質性の人格特徴の尖鋭化が加重していたのではあるが、必ずしもその程度は強いものではない。犯行前後には右アルコール依存症によるアルコール幻覚症の症状が出没していたが、犯行の動機はこれと関係しない。犯行自体酩酊に情動の影響が加わつて生じた複雑酩酊等価の状態での激情犯罪で、当時、事理を弁識し弁識に従つて行動する能力は著しく障害されていたと判定される。」というのであり、この鑑定結果は前記一の1ないし11の各事実及びこれに基づく前記二の1、2で示した当裁判所の判断に照らすと首肯することができ、採用すべきものと考えられる。すなわち、被告人は、本件犯行当時、いわゆる心神耗弱の状態にあつたものと認めるのが相当である。
以上のとおりであるから、本件犯行当時、被告人の責任能力を完全に否定した原判決には事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由がある。
第三 結論及び自判
そこで、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により、当裁判所において、更に次のとおり判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和五八年八月、被告人の飲酒、暴力などが原因で妻A子(昭和二三年三月生)と協議離婚し、その後酒浸りの生活を続け、アルコール依存症により病院に入退院を繰り返していたが、岩内病院精神神経科に入院していた昭和六二年ころ、A子が見舞いに訪れたことが切つ掛けで同女とよりが戻り、同病院を一応退院した昭和六三年七月から、同女や子供達(長女B子、長男C)が居住する北海道岩内郡《番地略》において同女らと同居しながら、引き続き同病院に通院し、同年一二月九日、被告人がA子の戸籍に入籍する形で同女と再び婚姻した。被告人は、A子から飲酒を厳禁されていたものの、同年八月ころから隠れて飲酒するようになり、A子に知られて叱責されても、これをやめることができず、同年一二月二四日も、その朝岩内病院に薬を取りに行つた帰り道に、近所の酒屋に立ち寄りワンカップの焼酎(アルコール度数二五度で二〇〇シーシー入り)二本を買つて一気に飲み干し、午前一〇時ころ帰宅した。被告人は、同日午後零時過ぎころ、気になつていることを確認しようとしてA子に話し掛けたところ、同女が応答を拒み子供部屋のベッドで毛布をかぶり横になつてしまつたので、家を出ようとして玄関の方へ向かつたところ、同女が突然ベッドから飛び起き、興奮して何かまくしたてながら居間の電話器でどこかに電話を掛けようとし、これを止めるため被告人がA子の手にした受話器を取り上げ、更に、電話コードを手で引つ張り壁のローゼットから引き抜いてしまつたため、怒つたA子が「あんたなんか狂つてる」などと叫びながら被告人につかみかかり、二人は取つ組み合いの喧嘩になつたが、被告人は、頚椎疾患のため手足に痺れがあつて力が出せないため、たちまち劣勢となり、逃げ回る形になつたところ、A子が、付近でこれを見ていたB子に指示して掛け布団とビニール紐を持つて来させ、B子らも加勢して、子供部屋の隅に倒れた被告人を右の紐で縛ろうとし、更に被告人の頭から掛け布団をかぶせ、被告人を押さえ付けに掛かつた。被告人は、このような仕打ちにあうと、A子に対する怒りが一気に爆発し、同女らをはねのけて台所に逃げた際、流し台上の水切り用茶碗かごに入つていた文化包丁(刃体の長さ約一七センチメートル)を認めると、激情にかられるままとつさに殺意を抱き、同日午後零時三〇分ころ、追い掛けて来て被告人の身体をつかんでいるA子に対し、右包丁を右手に持つて、その胸部、腹部及び背部等をそれぞれ突き刺して、背部、胸部、腹部など合計八か所に刺創、刺切創を負わせ、よつて、間もなく同所において、同女を外傷性・両側性気胸により死亡させて殺害したものである。
なお、被告人は、右犯行当時、酩酊に情動の影響が加わつて生じた複雑酩酊等価の状態、すなわち心神耗弱の状態にあつた。
(証拠の標目)《略》
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、右は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をし、その刑期の範囲内で被告人を懲役五年に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数のうち四五〇日を右刑に算入する。なお、原審及び当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑について)
本件は、前認定のとおり、アルコール依存症のため通院治療中であつた被告人が、復縁した妻A子(被害者)と約束した断酒を守れずに隠れて飲酒を重ね、犯行当日も、病院の帰途飲酒したことなどから被害者の反感を買い、電話のいざこざを経て、被害者とつかみ合いの夫婦喧嘩を起こしたすえ、幼い子供二人の加勢を得た被害者によつて、布団を頭からかぶせられるなど、力づくで押さえ付けられそうになつたことに激怒し、激情にかられてとつさに殺意を抱き、文化包丁を使い、子供らの見ている前で、無残にも被害者の身体枢要部を突き刺して殺害したという事案である。被害者は、被告人が右疾病から立ち直るのを心底から願つて断酒会に入るなど、被告人の精神的支えとなつて励まし、治療に専念させながら、自らパートで働き(不足分は生活保護費で補い)被告人及び子供二人を養つていたものであり、その被害者に対する右のような仕打ちは、厳しい非難を免れず、その犯行態様も甚だ激越である。もとより、結果も重大であつて、直接凶行を目撃した幼い子供たちの衝撃、被害者の両親ら親族の驚愕と悲嘆を考えると、被告人の本件刑責はまことに重大といわなければならない。
他面、被告人が、昭和六三年七月、岩内病院を退院後、被害者の住居で被害者及び子供らと生活をともにするようになつて以来、被害者に対しいわば恩義を感じ、飲酒の点を除けば、努めて家庭内では自制していた事情は証拠上認められるところであり、犯行当日、被害者がいつになく興奮し、被告人に布団をかぶせるなどの強引かつ不適切な対応に及んだという事情があり、もとより、殺人の犯行が許されるものではないが、これが被告人の怒りを誘発した点で、いささか酌むべき事情があるといえること、本件犯行は、被告人の正常な精神状態の下での行為ではなく、複雑酩酊等価の状態、すなわち、是非善悪を弁識する能力及びこれに従つて行動する能力が著しく減弱した状態で行われたものであること、被告人は一時の激情から冷めた後は、救急車の手配などにそれなりに努力し、被害者の死亡が確認されてからは、本件罪責を自覚し悔悟していること、被告人は、古い罰金前科のほかは前科がないこと、現在、被害者の冥福を祈り、入院してアルコール依存症及び頚椎部分の疾患の治療に専念していることなど、被告人のため有利な又は同情すべき諸事情もある。
以上の諸事情を総合考慮して、被告人に対しては主文掲記の刑を科するのを相当と判断した。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鈴木之夫 裁判官 田中 宏 裁判官 木口信之)